はじめまして。
東京新宿区で
マラソンの痛み専門
整体&トレーニングサロン
をしている笹谷修平です。
マラソン専門の整体?
なかなか聞きなれないと思いますが
自分の小さい頃からの
夢と希望、信念と責任感
をもってやっています。
このページでは私がどんな人物なのかなぜそのようなことをしているのか稚拙かもしれませんが紹介させて頂きます。
気軽に読んで頂ければ嬉しいです。
小さい頃からの夢
箱根駅伝
小さい頃、
正月と言えば箱根駅伝でした。
父親が見ていて、親戚も見ていて世間では箱根駅伝しかやっていない
それくらいだと思っていました。
ある年、ブルーの強い紺色のユニフォームで『花の2区』と言われる区間を爆走しテレビを独占している選手がいました。
ラストスパートで赤と白のタスキを握り走る姿は今でも目に焼き付いています。
その頃から、その大学は憧れになりました。
あのユニフォームをきて、箱根駅伝を走る姿を何度も夢見ました。
それはいつしか、
優勝したい
という気持ちになりました。
残念ながら、努力も気合も足りず怪我も多かったので、選手としては全く芽が出ず、それならトレーナーとしてサポートする側に周ろうと考えました。
当然のようにその大学に入学し、陸上部のトレーナーになり、
結果として言えば、
夢は叶いました。
というか、叶えさせてもらいました。
今思っても、後悔の方が多い大学生活。
何ができたのか、何をしてこれたのか、全くもって分からないですが、ただひたすら出来ることをしていました。
というか、それしかできませんでした。
実際優勝してみると、そのことよりも箱根駅伝を走り、優勝に導いた選手たちからかけられた言葉と4年間の思い出の方が大切な思い出になっていました。
田舎の小さな高校からでてきたちっぽけな男が、恵まれた選手と環境のお蔭で夢を叶えさせてもらった。
当日の2日間、そして終わった後にあった出来事を今でも覚えています。
けれど全然順風満帆ではなかったです。
選手が怪我などで試合に間に合わず棄権をしたり、メンバーから外される、そんな姿を何度も見てきました。
その姿を見るたびに
『自分は何のためにここにきたんだ!』
『何の役にもたっていない!』
と悩むこともたくさんありました。
けど、その度に
頑張る選手に助けられ、
自分が出来ることはなんだ?
何だってやってやる!
そう必死に勉強したり練習をして
選手と一緒に成長してきました。
生意気だとは思いますが
学生トレーナの中では
自分が一番真剣で一番レベルが高いと、そう信じて疑わないくらい必死でした。
けれど、反面では
自分の実力のなさを痛感していました。
必死になればなるほど、
自分ができない範囲のことがわかる、選手の力になれない自分がいる、全く役に立ててない・・・
そう毎日のように思っていました。
だから、優勝をした時に
選手たちに
『お前のお蔭で・・・』
と言われたときは本当に嬉しかったです。
ただ後悔をしていたこと
申し訳ないと思っていたことがありました。
それは
『絶対大丈夫!』
『任せろ!俺が何とかする!』
苦しむ選手を目の前に
そういうことが出来なかったということでした。
だから、自分の幅を広げるために
卒業後は専門的な勉強と資格を
とることにしました。
大学卒業後に続く・・・